卑しき政府が純粋なアスリートの国民栄誉賞を差配する矛盾
吉田沙保里だけ? 伊調馨や北島康介はなぜ国民栄誉賞をもらえないのか
本来、感動した国民の間から自然にわき上がるのが国民栄誉賞というものだろう。
今回は吉田の地元の鈴木三重県知事が官邸を訪問し要望書を提出した。そこに違和感を覚える。「13連覇はすごい」と野田首相がすぐに反応したというが、1%でも支持率を上げたい首相にとっては話題づくりには好都合だったろう。
要は国民をいかに感動させ、士気を高めたかが国民栄誉賞のはずだが、時の首相のさじ加減ひとつ。
政権浮揚のために存在する感じで、ありがたみは薄らぐ。万人が納得する明確な基準を設けるなど、賞のあり方を見直す機会ではないか。
2012.10.8 産経ニュース抜粋
吉田沙保里選手の国民栄誉賞受賞の検討になったきっかけは、三重県知事の要望によるもの。
このニュースを聞いて、「あぁ、これは政府が仕掛けたやらせだな」と感じたのは私だけではなかった事が引用記事の「(三重県知事の要望書提出に)違和感を覚える」にある。
国民皆で祝福すべき国民栄誉賞。
しかし、その対象者、タイミングを選ぶには時の政府の卑しい計算がある。
と言うことが囁かれるようになったことは誠に残念でならない。
しかしながら、その卑しさが菅首相が贈った“なでしこジャパン”に対する授与によってより鮮明になったのである。
あの時の菅氏の「気持ち悪い作り笑い」には今でも虫唾が走る思いだ。
なでしこの皆さんも、賞を授与してもらう相手が菅氏でなければその喜びも数百倍だったに違いない。
そんなこんなで、“政治利用される国民栄誉賞”という疑いを持つ国民が増えてしまった。
なので、今回の場合は政府が“言いだしっぺ”になるのは避けたいと考えた。
そこで、思いついたのが三重県からの要望書提出と言うわけだ。
世界の場で純粋に頑張るアスリート達を純粋に応援する日本国民。
その純粋とはまったく無縁な政府が、自らの都合第一に国民栄誉賞を差配する矛盾。
この矛盾解消には、受賞基準の見直しより前に、国民がまともな政治を選ぶ能力を高める必要があるのだ。

本来、感動した国民の間から自然にわき上がるのが国民栄誉賞というものだろう。
今回は吉田の地元の鈴木三重県知事が官邸を訪問し要望書を提出した。そこに違和感を覚える。「13連覇はすごい」と野田首相がすぐに反応したというが、1%でも支持率を上げたい首相にとっては話題づくりには好都合だったろう。
要は国民をいかに感動させ、士気を高めたかが国民栄誉賞のはずだが、時の首相のさじ加減ひとつ。
政権浮揚のために存在する感じで、ありがたみは薄らぐ。万人が納得する明確な基準を設けるなど、賞のあり方を見直す機会ではないか。
2012.10.8 産経ニュース抜粋
吉田沙保里選手の国民栄誉賞受賞の検討になったきっかけは、三重県知事の要望によるもの。
このニュースを聞いて、「あぁ、これは政府が仕掛けたやらせだな」と感じたのは私だけではなかった事が引用記事の「(三重県知事の要望書提出に)違和感を覚える」にある。
国民皆で祝福すべき国民栄誉賞。
しかし、その対象者、タイミングを選ぶには時の政府の卑しい計算がある。
と言うことが囁かれるようになったことは誠に残念でならない。
しかしながら、その卑しさが菅首相が贈った“なでしこジャパン”に対する授与によってより鮮明になったのである。
あの時の菅氏の「気持ち悪い作り笑い」には今でも虫唾が走る思いだ。
なでしこの皆さんも、賞を授与してもらう相手が菅氏でなければその喜びも数百倍だったに違いない。
そんなこんなで、“政治利用される国民栄誉賞”という疑いを持つ国民が増えてしまった。
なので、今回の場合は政府が“言いだしっぺ”になるのは避けたいと考えた。
そこで、思いついたのが三重県からの要望書提出と言うわけだ。
世界の場で純粋に頑張るアスリート達を純粋に応援する日本国民。
その純粋とはまったく無縁な政府が、自らの都合第一に国民栄誉賞を差配する矛盾。
この矛盾解消には、受賞基準の見直しより前に、国民がまともな政治を選ぶ能力を高める必要があるのだ。
