デパートクレーム体験記

[第七話] 超常現象で靴がへこむ?

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お江戸のお店へ着任1年目の私は、何とも摩訶不思議なクレームと遭遇することになるのである。

1年目の担当はメンズファニシング。
ワイシャツ、ネクタイ、肌着、靴下、ナイトウェア、紳士靴の担当。
ワイシャツ、紳士靴はサイズが細かく刻んであるので在庫抱えないといけないし、男モノの肌着なんて楽しくないし、ま、楽しいのはネクタイぐらいのものかな?と、思ってた。
つまり、あまり得意ではない商品群であった。
なので、「まいったなぁ」と思いながら着任。
そして、2ヶ月経った5月頃だったか、顧客から摩訶不思議な電話が売場担当者宛にかかってくるのである。

「お宅で新しく買った靴を下駄箱にしまっておいた」
「今日、それを初めて下駄箱から出して履こうと思ったら、先の部分がポッコリへこんでいた。どうしてくれるんだ」と言った内容である。、
担当者からその報告を聞いた私は、顧客が買われた靴と同じものを確認する。

それは、ごく普通のプレーントゥタイプのものである。
なので、トゥの部分は硬い。
指で少々押したところでは簡単にへこまない。
さらに押してへこませたところで、すぐに復元する。

「これって、何もしないのにへこまんでしょ?」と笑いながらベテラン担当者に聞くと。
担当者も笑いながら「へこみませんよ~」と。
皮自体の伸縮は多少あるだろうが、その力によって硬く処理されたトゥの部分がへこむとは考えにくい。

「こりゃ、超常現象でも起きたかな」と半ば感心しながらも、とにかく顧客宅に出向いて商品を確認する事が先決。
急ぎ、近辺の地図を用意してもらうことにした。

東京へ住んで2ヵ月ちょい。
当然、まだまだ東京は不案内な土地である。
急ぐ中でも、行き先の確認をしっかりしておかねばならない。
方向音痴を自認する私は、初めて行く場所の場合は特に注意が必要。
ましてや、今回の場合はクレーム訪問である。
約束時間には、絶対に遅れるわけにはいかない。
なので、用意してもらった地図を丹念に見て、到着駅からの顧客宅までの道順をしっかりと予習する。

その地図を見る限り、区画もきれいに整理されておりわかりやすい。
地図の中央には線路が走っており、到着駅も地図上にある。
駅からこれだと歩いて15分あれば十分だな、と確認する。
ただ、地図で見ればお宅は駅の左側だが、乗った電車の進行方向によっては逆になる。
そこが一番心配だったので、メンバーの一人に確認をする。

「この地図でいくと、池袋からの電車の進行方向の左側で間違いない?」と聞くと、しばらく、考えて「え~と、そうですね。左で間違いないです」との回答。
よし、これで予習は終了。
顧客宅には時間的にも精神的にも余裕を持って到着したいので、駅には約束時間の40分程前に到着するように店を出たのであった。

電車に乗って30分あまり、目的の駅に到着。
間違いのないよう、進行方向の左側の駅の出口を出て向かうことにする。
地図を確認しながら道を進んでいくのだが、戸別地図を用意したにもかかわらず、途中のお店とか個人宅の名前を確認しながら進むことはしなかった。

何しろ、目指すはお宅は「電車の進行方向左側」との言葉を信じていたのだから。
で、15分ぐらいが経過、もう近いはずだ。
しかし、どうも様子がおかしい。
ん?
と思い、地図を確認する。

現在地と思われるところの地図を見る。
しかし、地図に表記している個人宅もお店も、今私の居る場所の辺りに見当たらない。
あれっ?
道をどこかで間違えたかな?
と思い、道順をもう一度地図上で辿る。
いや、間違っていない。
と、言うことは?

もしや?
と思い、お店に電話をいれ、「電車の進行方向左側」と言った担当者を呼び出す。
「今、電車の進行方向左側へ来てるんだけど、左で間違いないよね?」と聞くと、彼は「えっ?ちょっと待ってください」と言ってしばし私を待たせる。

イヤな予感である。
しかし、そのイヤな予感は当たってしまうことになる。

「あっ、すいません、右でした!」
その言葉を聴いた私は、しばし絶句。
文句のひとつも言いたいところだが、とにかく時間がない。
約束時間の40分前に駅に着いて15分歩いたから、
40分-15分=25分
いや、お店に電話したりしているうちに5分程度経過したから、
40分-15分ー5分=20分
あと20分で顧客宅に到着せねばならない。

いや、5分前には到着したいので15分で到着せねばならない。
ただ、今は顧客宅の逆方向に徒歩15分の距離を来てしまっている。
と言うとこは、つまり、ここまで来た速度の倍の速度でとって返さなければならない。
ここまで来た速度が凡そ時速6キロ程度。(ジムで歩いたり走ったりしてるのでこのへんはわかる)
と言うことは、時速12キロでとってかえさなくてはならない算段だ。

いつも私がジムで走っている速度が10キロ。
つまり、そのジムでの走りのプラス2キロで、しかも、スーツ姿で走らなければらないのだ。

「え~っ、勘弁せえよぉ~」であったが、グダグダ思ってる暇もない。
すぐさま踵を返し、スタートを切ったのである。

さぁ、顧客宅まで15分が目標。
上着を手に抱え、ジョギングのスタートである。
時節は初夏、5分も走るとジワッと汗ばんでくる。
が、そんな事にかまっている場合じゃない。
一目散に顧客宅を目指し、時速12キロ以上を意識しながら走る走る走る。
で、目標の15分少々前にはお宅を見つけることができた。

そのお宅は、都会には似合わない田舎でよく見られる純日本風のお宅。
息を整え、呼び出しベルを鳴らすと、玄関の引き戸を開けて小学3~4年生ぐらいの男の子出てきた。
「こんにちわ、◯◯の橋本です。おうちの方いらっしゃいますか?」と問うと、何も言わず踵を返し、廊下をドンドンドンと音をたてて奥の部屋へ走っていく。
そして、奥の部屋に向かって「おじいちゃん、誰か来た!」と報告している。
奥の部屋から「誰だい?」と問いかける声が聞こえ、その後「知らな~い!」という声が響く。

え?
ちゃんと名乗ったじゃないか、と思ったが、ま、相手は少年、しょうがない。
と、ここで、ようやく玄関の土間にゆっくりと目を落とす。

ふわぁ~、こりゃまた。
このお宅はいったい何人家族なんだ?と思われるほど靴が並んでいる。
いや、並んでいない、散乱している。
中でも、子どもの靴は3足分ぐらいがあっちこっちに横向いたりひっくり返ったり。
たいそう元気よく散らばっているのである。
その元気な散乱ぶりを見た私は、咄嗟に「靴をへこませた犯人見つけたり!」である。

と、得心したこところに、奥から先の少年のおじいちゃんであるクレームの主がゆっくりと現われる。
表情は特に怒っている風ではない。
訪問の挨拶をすませ(靴がへこんだ原因は未だ不明であるから、この時点ではお詫びはしない)、取り急ぎ、件の靴を拝見することに。
「ここにずっと入れておいたんだよ」と言いながら、下駄箱の扉を開けて下駄箱から靴を出される。

まるほど、黒のプレーントゥの靴の片方のつま先部分が、500円玉ぐらいの直径ほど丸くへこんでいる。
「買って帰られてすぐこの下駄箱に入れられたんですよね?」と改めて問うと、「そうそう」とおっしゃる。
「で、履こうと思ってこの靴を出してみたら、この様にへこんでいた・・・と言う事ですか?」
と、さらに問うと、「そうなんだよ、何でこうなるの?」と問い返される。

おじいちゃんの傍らに佇む少年と目が合ったので、「こらっ!この靴を踏んづけたんだろ!?」と優しい眼差しで詰問したが、伝わるはずもなく。
なので、「何でこうなるの?」の問いには、首を傾げながら「申し訳ないのですが、今こうして拝見しただけではわかりかねます」と言わざるを得なかった。

当然、この訪問で決着をつけるつもりではないので、しばらくお預かりして原因を調査してお返事差し上げたい旨を伝えると、「別に急がないから」とのありがたいお返事。
担当者から、「どうしてくれる!と怒ってました」と、つい先ほど報告を受けたのが嘘の様に、叱責を受ける事もなく穏やかに訪問を終える事ができたのである。

さて、それから問題の靴を持って帰店。
私が外出の間、担当者に商品本部、お取引先に問い合わせるよう頼んでいたのが、いずれも「自然にへこむなんて実例は過去一度もない」との回答。
そりゃそうだ、「そんなの超常現象じゃあるまいし」と私も思っていた。
とは言いながら、一応念の為品質管理部に出して調査はしてもらう事に。
そして、後日返ってきた検査結果は、「急激な力で押しこまれたと思われる」との結果報告。
さもありなん、である。

で、顧客にはどのように回答するか?であるが、調査結果をそのまま伝えたところで押し問答になるのは目に見えている。
なので、「原因不明」として報告し、修理させていただく事でご了解を得、修理して元に戻った靴を無事納めることができたのである。

ただ、その後しばらくは、あの少年がまたあの靴を「踏んづけないことを願っていた」のは言うまでもない。



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