広島カープと私

[第一話] カープファン誕生

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今のカープの実態は、銭ゲバオーナーが私物化し私服を肥やす道具とされた、私から言わせれば似非カープ。
球団名を「松田野球倶楽部」にでもして市民球場を使わないでくれと言いたいくらいだ。
このお話は、原爆からの復興に広島人と共に歩んできた正真正銘のカープと私のお話です。

ではでは。

私がカープファンであることを自覚したのはいつだろう?
学校の宿題もそこそこに、試合が始まれば雑音激しいラジオの前で懸命に試合の様子を聞き入ってた記憶は鮮明。
それを母親に見つかりよく怒られていた頃、そう、小学校の3.4年の頃にはすでに熱心なカープファンであったと思われる。

ただ、その頃のカープはとにかくクソ弱く「お荷物球団」と呼ばれていた時代。
5位と6位を行ったり来たり、4位ともなれば「今年は強かった」と喜ぶ始末。

なので、小学校高学年の時だったと思うが、初めてのAクラスで3位になった時はそりゃもうたいへんで、優勝したかの様に喜んだものだ。

また、初めての市民球場観戦ではカクテル光線に映える芝生の緑と球場の明るさに感動したのだか、まぁ試合が始まったら観客の口の悪いことガラの悪いこと。酔っ払ったおじさん達があちこちで、広島弁でまくしたてるのであるから、そりゃ小学生のわたしが怖くないはずもない。

さらに、それは、たまたまその時だけでなく、いつ行っても、外野だろうが、内野だろうが、どこで観戦しても一緒。
最初は、とんでもない所へ連れてこられたもんだと思ったものだが、これもじき慣れてくるもので、この当時の強烈な実体験がその後の私の観戦スタイルを生み育てていくのであった。



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