「いじめはあって当然」を前提に対応策を講じるべき
大津市の中2男子自殺で、男子生徒が通っていた学校で20日、終業式が行われ、校長は体育館に集まった生徒に「かけがえのない命が失われてしまったことは、いくら悔やんでも悔やみきれません」と述べた。
市教育委員会によると、校長はさらに「爆破予告もあり、臨時休校や部活動でも不便をかけました」と謝罪。「思いっきり勉強や部活動ができる学校に早く戻したい」と話した。
校内では早朝から滋賀県警の警察官約20人が、危険物がないかなど警戒。1年の女子生徒は「このまま夏休みに入っていいか不安。先生たちは大変そう」と語った。
県警は、生徒が夏休みに入るのに合わせ、早ければ21日から生徒や保護者ら約300人から任意で事情聴取を開始。いじめと自殺の因果関係について本格的な捜査を進め、8月末までに立件の可否を判断する。
2012.7.20 産経ニュース抜粋
件の校長の記者会見を観て、違和感を持った視聴者が多かったのではなかろうか。
私には、その言動態度すべてが不誠実そのもののように感じた。
その彼が終業式で「悔やみきれない」と言ったそうだが、これもどれだけ気持ちがこもっていたのか甚だ疑問である。
さて、いつまでたってもなくならない「いじめ問題」であるが、「いじめをなくそう」という無理難題から始めようとするから問題解決が遅れるのだ。
あってはならないことだから隠蔽する。
隠蔽したいから見なかったことにする。
見なかったことにするから悲劇的な結末を迎えるケースが増える。
この繰り返しなのである。
基本的に人間は「他人より優位に立ちたい」本性があるわけで、その向上心があるから人間だとも言える。
それが勉強やスポーツ等に向かえば問題は少ないが、他の方法に向かうことも大いにありえる。
それが他人を貶める「いじめ」という形で現われることは珍しくもなんともない。
もっと言えば、「他人より優位に立ちたい」と言う意識がなくても、十人十色の人間をひとつの箱に入れて軋轢が生まれないほうが不思議なのだ。
特に、人間形成の途中である児童生徒同士の関係ではいろんな軋轢があり、それがいじめに発展することなど至極当然の事なのである。
「いじめをなくす」教育を!
それはきれいごとに過ぎない。
「話し合いにより世界中から戦争、紛争をなくすことができる」と言うぐらい不可能なこと。
「いじめはあって当然」
現実味のない理想論でもたもたしてる時間はムダそのもの。
一刻も早く「いじめはあって当然」から対応策を講じるべきなのである。

