「戦争は必然」と知る事が未然の要諦

かばちたれ
野口裕之の安全保障読本 「北頼み」と訣別せよ

 東京都の石原慎太郎知事は、北朝鮮が撃った長距離弾道ミサイルに関する日本政府の情報確認について「外国に比べて遅れているのは、今の日本の国家のザマだ」と厳しく批判した。この「ザマ」は、日本人が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)瞬間から、止むことなく積み上げられてきた。
 その結果、日本人は「起きて欲(ほ)しくないことは起きない」「起きてはならぬことは起きない」と、安全保障に対して「思考停止」を続けている。「平和を愛する諸国民」でもなく、「公正と信義に信頼」できる道理もない北朝鮮のこれまでの「蛮行」の数々を見つめれば、この“思考回路”が誤りであることは明々白々だ。
 そもそも人類史上、主要戦争は1万4千回以上、死者は50億人に達する。過去3千400年の内、平和な時代は250年に過ぎない。日本人は現在、戦争と戦争の狭間(はざま)「戦間期」を生きているのかもしれない。
(中略)
 社民党は今般の発射について「政府の対応は過剰」と放言した。21年のテポドン2号発射でも、岡田克也外相(当時)は迎撃ミサイルの「PAC3は防衛予算のかなりの部分を占める。有効性について国民に理解される説明が求められる。22年度中に検討すればいい」と発言。福島瑞穂消費者・少子化担当相(当時)も援護射撃した。
 斯(か)くして「思考停止の停止」は時間と共(とも)に解除され、また「思考停止」という日常に戻っていく。
 「ザマ」は無(な)い。
2012.4.15 産経ニュース抜粋

>そもそも人類史上、主要戦争は1万4千回以上、死者は50億人に達する。過去3千400年の内、平和な時代は250年に過ぎない。

>日本人は「起きて欲(ほ)しくないことは起きない」「起きてはならぬことは起きない」と、安全保障に対して「思考停止」を続けている。

人類の歴史に学ぶ者は「戦争は必然」と考え、そして備える。
しかし、多くの日本人はそう考えない。
と言うより、米国による日本弱体化戦略にまんまと嵌り「そう考えない」よう洗脳されてきた。
その典型が左翼と呼ばれる人たちである。

しかし、どう考えようが「戦争は必然」なのである。
人類史上、戦争が無い期間は短く、奇跡の期間と言って良い。
日本で戦後に生まれた私は、史上稀なその奇跡の期間にこの国で生かされていると思っている。

ならば、どうして「戦争は必然」なのか。
先ずは、地球上に住むすべての人間が飢えなくてすむほど地球上には資源が無い。
しかし、その飢えが満たされたとして人間には我欲がある。
飢えと我欲がなくならない限り、奪い合い、即ち戦争は決してなくなることはない。

物理的な「飢え」は致し方ないにしても、「我欲」は抑えようじゃありませんか?

いやいや、その我欲。
厄介な事に向上心と表裏一体。
つまり、それこそが他の動物と違い文化文明を発達させてきた人間たる所以。
人間が人間でいる限り、その我欲はなくなりようがない。
なので、万一飢えが解消されても戦争がなくなる事はないのである。

この人間の本質を認め「戦争は必然」と考える事。
戦争を未然に防ぐにはここからスタートせねばならない。

しかし、現代に生きる多くの日本人は日本で戦争は起きないと考える。
危なっかしい国が近隣に存在しても侵略を受けることなどないと考える。
現に今も領土の侵略を受けているのもかかわらず。

で、国防不要論が大手を振ってまかり通る事態に陥っている。
しかし、この事態こそが「戦争は必然」の後押しになる事に日本人は早く気付かないといけないのだ。

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かばちたれ
Admin:かばちたれ
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かばち=広島弁で文句。
かばちたれ=文句を言うひと。

コロナ騒動に“茶番臭さ”を感じた事をきっかけに8年ぶりにブログ再開。

終活の一環として「デパートクレーム体験記」などの回顧録もぼちぼちと。